■日本の礼儀としての帽子のマナー
1920年代から30年代、女性の社会進出に伴い、衣服は合目的性、機能性が求められるようになりました。ココ・シャネルに代表されるように、権威の象徴だった帽子も、単純化された美しい形のものを、同じく単純なシルエットの服に組み合わせるようになりました。ココ・シャネルが帽子のデザイナーから出発したことは意外に知られていませんが、シャネルの生涯を描いた映画『ココ・シャネル』には、男性の職人(蒸気をかけて型に入れるなど帽子づくりは力仕事なので、現在でも帽子職人は男性が多い)に伍してイキイキと制作するシャネルの姿が新しい時代を感じさせました。
戦後はオードリー・ヘップバーンやイングリッド・バーグマンに代表される映画スター、またケネディ大統領夫人のジャクリーヌによって紹介されたファッション(ヘアスタイル、メイクアップ、帽子、服、バッグ、靴のコーディネート)が世界中の女性を虜にしました。
このように生活の合理化により礼容としての帽子は減少し、アクセサリーとして身につけられています。日本では欧米のように帽子を着こなす人が少ないようですが、それは室内で「靴を脱ぐ」文化のため、屋内での帽子の着用をどうするかがわからないからだと思われます。私は、洋服とコーディネートしている帽子でも、茶室のように「靴を脱ぐ」場所においては「帽子を取る」ことは日本の礼儀だと思っています。
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■ A politeness characteristic of the Japanese when they put on a hat
The woman achieves a social advance from 1920s through 1930s. Therefore,
fitting for the purpose, functionality is necessary for their clothes.
The hat was a symbol of the authority. But the hat came to put a thing
of simplified beautiful form together on the clothes of a simple silhouette.
Coco Chanel was a designer of the hats first. There is the scene where
Chanel makes a hat without yielding to the severe workplace environment
that is equal to a man to movie "Chanel Solitaire" I felt the
new times. After World War II, hi fashion (hairstyle, makeup, hat, clothes,
bag, shoes) of First Lady Kennedy and movie queens were introduced. The
figure made women of the world a captive. Many women around the world imitated
their fashion. By rationalization of such a life, the need of the hat as
the courtesy decreases. And the hat is worn as a kind of accessories. In
Japan, I think that there are few people dressing a hat well like European
and American people. One of the reasons is a thing by there being a Japanese
custom "to take off shoes in the room". Many Japanese are troubled
as soon as they enter the room. "Do I take off a hat?" Or "do
I not take off a hat?" It is a question. At the place "taking
off shoes" like a tea ceremony room, I think that the Japanese courtesy
"to take the hat" is necessary if I think that I harmonize with
clothes with a hat.
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■ 第1回~第11回 与謝野晶子生誕芸術祭 出展作品
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2007年12月7日
■ 与謝野晶子129回目のお誕生日を祝う会 |
作品名 フローラ |
与謝野鉄幹にであう前の堺に住んでいた少女時代の晶子さん。
ピンクのパナマにピンクのオーガンジーの花を飾りました。 |
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2008年12月7日
■ 第1回与謝野晶子生誕芸術祭 |
作品名 フローラ |
※2008年12月7日は、2007年と同じ作品 |
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2009年12月7日
■ 第2回与謝野晶子生誕芸術祭 |
作品名 パープル |
大人の晶子さんを、お好きな色•紫のカクテルハットで表現しました。共布でケープを創り着物姿にも違和感の無いようにしました。 |
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2010年12月7日
■第3回与謝野晶子生誕芸術祭 |
作品名 ジャッキー |
ビジネスウーマンとしての晶子さんを、ジャーナリストであった
ジャクリーヌ・ヶネディと重ねました。 |
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2011年12月7日
■第4回与謝野晶子生誕芸術祭
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作品名 ヌーヴォー |
教育者としての晶子さんを軽やかな明るいブレードで創りました。アール•ヌーヴォー スタイルのドレスもコーディネートしました。 |
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2012年12月7日
■第5回与謝野晶子生誕芸術祭
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作品名 パリ |
渡欧100年。フランスの美意識の一つの要素であるchicをイメージしました。 |
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2013年12月7日
■第6回与謝野晶子生誕芸術祭
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作品名 independence |
社交界でも尊敬された文士としての晶子さん。ゴージャスな羽根飾りを毅然と冠りこなしてください。
(本来は当日だけですが、今年は一緒に展示もしています) |
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2014年12月7日
■第7回与謝野晶子生誕芸術祭 |
作品名 Galop |
有島武郎とのPlatonic love…。
フレッシュでアクティブな晶子さんを
心躍るキャスケットであらわしました。 |
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2015年12月7日
■第8回与謝野晶子生誕芸術祭 |
作品名 衣舞(きぬまい)
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きもの作品に詩歌を添えたという晶子はファッション評論家。
女性らしい感受性をやわらかな布とやさしい色彩で現わしました。 |
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2016年12月7日
■第9回与謝野晶子生誕芸術祭 |
作品名 野薊(のあざみ)
Cirsum japonicum
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ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」第4章敗北の文化に、「女性解放論者で詩人として有名な与謝野晶子」との記述を見つけた…。ベレー帽はチェ・ゲバラからインスパイア。徽章の野薊は日本固有種、花言葉は「権利、私をもっと知ってください」。 |
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2017年12月7日
■第10回与謝野晶子生誕芸術祭 |
作品名 母 |
与謝野鉄幹晶子夫妻には、実子五男六女と養子1人、12人の子どもがいます。
子どもたちへのやさしくきびいしい母性と、渡仏時子どもたちを恋い慕ってホームシックになった母としての晶子を想い、子どもたちの帽子も作りました。
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2018年12月7日
■140th与謝野晶子生誕芸術祭 |
作品名 浪漫(ロマン) |
与謝野晶子の威厳と浪漫のある生き方は、本物の芸術は気軽にたのしむようなものではない、と教えてくれました。絵の先生であった有島生馬から「晶子さんは歌だけをやっていた方がいい」と言われたそうですが、生馬は皮肉屋だったとか…励ましのコトバだった、と思います。 |
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ボルボックスアート団 伴野久美子展
作品名 グログランズ踊鳳凰
「与謝野鉄幹と晶子」2013
旧姓も含むオドリホウオウの習性は
夫妻を巡る関係にも思えるのです。 |
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